「熱源」

小説「熱源」を読みました。川越宗一:著
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163910413
樺太生まれのアイヌ、シベリアに流刑されたポーランド人らを描いた北海道開拓時代の歴史小説です。

みなさんはアイヌや樺太についてどのくらいご存知でしょうか。私はほぼ皆無で、名前を聞いたことがある程度でした。去年、北海道に旅行に行く時に、北海道にはアイヌ語由来の地名が多くあるものの(札幌はアイヌ語で「乾燥した広大な川」という意味だそうです)、アイヌ人は今どこにいるのだろうと疑問に思い、それから興味を持ち始め本を数冊読みましたが、知識としてはその程度です。

今の日本でアイヌや樺太について気にかける人は少ないでしょうが、それでもかの地と民族から学ぶべきことはあると本を読んで思いました。登場人物であるアイヌは、日本からの同化政策で自身の文化や言語を奪われ、アイデンティティを失いかけます。その功罪を論じるには私の知識は少なすぎますが、それでも、もし自分が同じようなことをされたらと想像することはできますし、それはとてもつらいことでしょう。同じ悲劇を繰り返さないためにも、歴史から学ぶことはあるはずです。

この本はどこも心揺さぶられるストーリーなのですが、私にとって特に印象に残ったのはアイヌの女性がトンコリ(琴)を弾くシーンでした。

「演奏は、突然はじまった。
荒涼たる大地が生じた。空は洗われた途端にかき曇り、雨が森を洗う。裂けたような晴れ間から差す陽光を鳥がかすめ、ゆっくりと旋回する。流れる大河を鮭の大群が遡上する。熊が吠え、勇者が矢を番える。
(中略)
たった五本の弦を自在に操り、キサラスイは次々と音を紡ぎ、旋律を織り、世界を染めていく。」

なんとも詩的な描写ですが、皆さんはこれを読んでどう思ったでしょうか。「そんなことは起こらないよ」と思ったでしょうか。私はそうは思いません。あり得ると思いました。なぜなら私は、琴ではないのですが、マッサージで同じようなことを体感したことがあるからです。それはハワイのロミロミのクム(先生)のデモンストレーションを見ていた時でした。デモが始まると、場の空気が変わり、マッサージを見ているのに、周りにはクマや虎が闘っているシーンが見えてきて、この描写のような圧倒的な世界観が突然生まれて、そこに引きずり込まれたのでした。なので、琴の演奏でもこういうことが起こると思います。もちろん琴をなんとなく弾いているだけではこうはならないでしょう。琴に思いを乗せ、それを表現できる力があったからこそできた技でしょう。もしこれがアイヌの伝統ならば素晴らしいものです。ぜひこういう演奏を聴いてみたいものです。