トライするということ

先日、スポーツクラブのヨガに参加していた高齢の男性のことについて思うことがあったので、書こうと思います。

そのクラスは平日の昼間ということもあり高齢の参加者も多いのですが、そのおじいちゃんはどうやら初心者のようでとっても慣れていない感じでした。

インストラクターが指示する動きができないのは(指示された動きが理解できてないことも、わかってはいるけどやろうと思ってできないことも)誰しもよくあることですが、このおじいちゃんは本当にできていなくて、あまりの違う動きに、レッスン中、イントラも周りの参加者も気になっていました。

はっきり言って全然できていなくて、全く違う動きをしていたり、ただぼっとしているだけでしたが、それでも1時間スタジオに居続けて、最後はイントラさんにお辞儀をして出ていきました。

このおじいちゃんはどういう気持ちで参加しているんだろうなと思いました。

自分は小心者で新しいことに挑戦するのがあまり得意ではありません。
心配性でもあるので、周りの人に迷惑をかけたらどうしようという思いも強くたちます。

なので、自分がこのおじいちゃんの立場だったとしたら居心地が悪くて次から参加しないのだろうかとも思ったのですが、きっと自分が一番最初の時もこのおじいちゃんと同じようなことしかできていなかったんだと思います。それが、いつしかできるようになっていっただけ。

確かに周りは「あ、この人、初心者だ」と思うかもしれませんが、それを迷惑と思う人はそれほどいなくて、逆に気遣ってくれる人のほうが多かったように思えます。

このおじいちゃんがどう思っているのか実際のところはわかりませんが、このおじいちゃんのように(たとえ全然できていなくても)それにとらわれずに楽しんで、新しいことに挑戦することのほうが大事なんだろうなと思いました。

なぜこのようなことを感じたのかというと、自分が同じようなことで悩んでいるからです。

具体的に言うと、次回のエサレンマッサージのワークショップは、現地(アメリカ)に行って(通訳なしの)英語のクラスでとろうかどうしようかと悩んでいるからです。

英語ができない自分が一人参加しても周りの人に迷惑をかけるし、自分も居心地が悪くて耐えられないんじゃないかと思っているのです。

けど、このおじいちゃんを見てちょっと勇気をもらいました。

トライしてみようかな。(やっぱり、しない気もしますが)